氷結の夢 第五話『チョコボと乗り物』
目の前に広がる光景は得てして奇妙な物だった。 空中には、ぐしゃぐしゃになったモーグリとドラゴン族の子供。 地上には、やけに興奮しながら羽根をバサバサと羽ばたかせるチョコボ。
こんな状況で冷静で居ろという方が無理であろう。
幾らこの光景が『夢』であっても。
エスティニアンは数瞬の後、漸く我に返り状況を把握した。横を見れば、イゼルも同じタイミングで正気に返った様だ。 二人で示し合わせ、エスティニアンはチョコボを、イゼルはモーグリと仔竜を、それぞれ対処に向かった。
エスティニアンは何に興奮したのかいまいち判然としないチョコボの首に手を掛け、少しずつ宥め、ある程度落ち着いた頃合いを見計らって、目を覆ってやった。鳥類は目を覆ってやる事で落ち着かせる事が出来たはずだ。次第に落ち着きを取り戻すチョコボを、しっかりと確認した所で、イゼルの方を見やった。 イゼルは軽いパニックを起こしているモーグリと仔竜に、大きめのタオルを掛けつつ声を掛けていた。 気持ちを落ち着かせてやるためだろう。
『二人とも大丈夫か? 怪我は無いか?』
柔らかいタオルに包まれながら、モーグリと仔竜はイゼルの問いかけに答えていった。
『だ、だだ、大丈夫クポ……』
『うん……、ぼ…僕もだいじょうぶ……かな』
幸い二人に怪我はないようだ。 騎乗用として慣れ親しんでいるせいもあって忘れがちになってしまうが、野生のチョコボは本来気性が荒いものだ。 敵と認識されて攻撃を受けた場合、無傷でいるというのはなかなかに難しい。
『それならよかった。まずは二人とも身体の汚れを落とそうか。チョコボはエスティニアンが落ち着かせている。もうこちらに向かっては来ないだろう』
あちらはイゼルに任せておけば良さそうだと判断したエスティニアンは、落ち着いたチョコボを側の木に繋げる事にした。
(しかし、このチョコボはなぜこんなに興奮したんだ……?)
いくらチョコボといえど、無闇矢鱈に攻撃を加えてくるはずはなく、幾ら考えても状況の理解は一向に進まなかった。
エスティニアンは、イゼルが仔竜とモーグリを洗っている間に、残りの洗濯物を干すことにした。 先程の事で途中になってしまっていたのだ。 記憶を辿ってみても、なぜか自分で洗濯をしていた覚えが無く、夢の中では洗濯はイゼルの担当になっていたのであろう。 自分達の洗濯など、別に手間と言うほどではないのだが、なぜ自分がそれをしていなかったのか判然としなかった。
そして、エスティニアンはイゼルが途中にした洗濯籠の中に無遠慮に手を入れ、何気なく取った物に表情を凍らせた。
手にはイゼルの下着が握られていた。
エスティニアンは、状況が理解出来ない。 なぜ自分の手に、それがあるのかが理解できない。 とても柔らかい感触を伝えてくるその布切れにエスティニアンは、しばし時を止めるしか他なかった。
感情を押し殺しての洗濯が終わり、また、なぜ自分が洗濯をした記憶がなかったのかを思い知らされた。 この夢の中ではイゼルと共に暮らしている様だが、自分達の関係はどういったものなのだろうか? いまの状況を鑑みるに『共に旅をした』とか『敵同士』とか、そういった関係ではないのは分かるのだが、明確にこういう関係だとは分からない。 かといって、こちらからどういった関係だ?とは聞けるはずもない。 エスティニアンは、暫く考えた後、一つ溜息をついた。
(どうせ考えても分からないんだ。そのうち向こうからなにがしかの反応はあるだろう。もしそういった関係でなかったなら、直近で何をされるかわからんが……)
深い仲では無かった場合、気遣いのつもりでした洗濯が裏目に出るかもしれないが、もうその事を考えるのはやめることにした。
お茶を飲みつつ待っていると、イゼル達が戻ってきた。 いくら考える事をやめにしたとはいえ、本人を前にすると一瞬身体が強ばったのが分かった。 どういった反応があるのか非情に気になるが、どうにか頭からその事を追い出した。
皆で、テーブルに着くと、イゼルが話し始めた。
『二人とも、なんであんな事になっていたか聞いてもいいかい?』
この事を聞かねば、話しは進まないであろう。
『分からないクポー! いきなりアファ・ルートゥの頭が黄色い毛むくじゃらにがぶってされてたクポー!』
『ぼくもわからないなぁ……。目の前が急に真っ暗になったと思ったら、もうぐちょぐちょだったし……』 そんな事は言われずとも分かっているのだ。 いくらなんでも、状況を把握しなさすぎていないだろうか? なんとも言えない想いを噛み殺しつつ隣を見れば、やはりイゼルも同じ様な表情をしていた。 これ以上、なにも話しを聞いても無意味だろうと悟ったのか、イゼルが表情を繕って言った。
『そうか……、二人が何かをしたわけではなかったのだな……』
このやり取りで穏やかに話しを進められるイゼルに尊敬の念を送りつつも、エスティニアンは自分の感情を隠さずに言った。
『野生のチョコボが急にあそこまで興奮するか? どうせそこのモーグリがなにかしたんだろ?』
正直な気持ちである。
どうせこのモーグリが何かしたのだろう、と。
『チョコボ……クポ? チョコボって何……?』
そんな事を思っていると、ふいにモーグリが言った。 どうやら、このモーグリと仔竜はチョコボを知らず、初めて見たようだ。 自身は普段からチョコボに慣れ親しんでいるせいか、そもそもとして『チョコボを知らない』という事を想像していなかった。 それは、イゼルも同じであろう。 それくらい人の世界でのチョコボは普遍的なものだ。 エスティニアンの様に苛立たず、イゼルはそんな疑問にも穏やかに答えて行く。
『あぁ、二人はチョコボを知らないのか。確かに、モーグリ族とドラゴン族ではあまり馴染みが無いかもしれないな。さっきの黄色い鳥をチョコボというんだ。人はあの鳥を捕まえてから訓練して乗り物として使ったりするんだよ』
改めて説明を聞いても、説明自体に違和感を覚えるほどに馴染んでいる事に驚いた。 エスティニアンが不思議な感覚になっていると、モーグリが続けた。
『のり…もの……くぽ? のりものって何……クポ?』
もはや言葉がでなかった。『乗り物』という言葉すら伝わらないとは。確かに言われて見れば、人間からすれば普段から何かに乗るということを自然にしているが、モーグリ族やドラゴン族がなにかに乗るというのは聞いた覚えが無かった。 まさかの言葉にイゼルと二人で呆けた顔をしてしまったくらいだ。 イゼルが先に復帰し説明をした。 『そうか、確かにモーグリ族やドラゴン族は何かに乗る必要は無いものね。人はね、移動する時に自分より速く移動できる何かに乗って、移動するときがあるんだよ。自分で動くよりも速くて、自分は乗っているだけならとても楽ができるだろう?』
なんでこんな説明をしているのか分からず、頭痛がしてくる気がするが、しかし本来生き物とはこういった物なのだろう。他の生き物から比べたら人間が少しおかしいのかもしれない。 そんな事を思っていると、モーグリがまた騒ぎ始めた。
『凄いクポー! ニンゲンはとっても頭が良いクポー!』
頭につけた丸いのを震わせながら。
イゼルもそれに気付いたのか、なんとも言えない表情をしている。
『どうかしたクポ?』
そんなこちらの様子に気が付いたのか、モーグリが聞いてきた。 イゼルはハッとした表情になり、直ぐにモーグリに説明をした。
『その……、だな。もしかしたらとは思うのだが、先程のチョコボは……モグポンのそのぽんぽんを見て興奮したのかもしれない……』
それでもやはりイゼルは言葉を選んで伝えているが、そんな気遣いは無用だろう。 エスティニアンはそう思い、思った言葉をそのまま口にした。
『大方、その丸いのを餌とでも勘違いしたのだろう。餌をみて興奮して狙いが狂ってそっちのドラゴンを口にしたのか』
この程度の事でいちいち相手を気遣っていたら面倒で仕方ない。 気遣いとはもっと別の所でするべきだ。
『どうしたクポ? アファ・ルートゥもなにか言ってやるクポ!!』
となりで嫌そうな顔をしている仔竜に気付いたのか、モーグリが何かを喚き始めた。 仔竜も、自分の置かれた状況にいい加減気付いているのだろう。
『ぼくが食べられたのって、モグポンのせいだったんだね……』
仲間のはずの仔竜にそんな事を言われる様を見て、エスティニアンは少しだけ気持ちが晴れた気がした。 このモーグリには散々面倒な思いをさせられてきたのだ。これくらいの事があっても別に構わないだろう。
そう思えた矢先、モーグリはそっと皆から視線を外し、言った。
『モグポンは、あの毛むくじゃらに乗ってみたいクポー!』
完全に今の会話を聞かなかった事にしようとしていた。
エスティニアンは無意識に槍を取ろうとしている自身の手を必死に抑えるのであった。
モーグリの開き直りをみてから、エスティニアンはもう会話に入る気は失せてしまっていた。 しかしイゼルは引き続き、会話を試みているようだ。 エスティニアンは面倒に思いつつも、その会話をただ耳に入れることにした。
『あのね、ぼくももし乗れるなら乗ってみたいかな……?』
会話の中で、ふと仔竜がそんな事を言った。 考えてみれば、確かにドラゴン族からしてみれば、何かに乗るというのは経験してみたい事なのかもしれない。 成長すれば、チョコボなんて比ではないほどの速度で飛ぶことは可能であろうが、目の前にいるのは、生まれて間もない出あろう仔竜だ。 しかし、いまここにいるのは野生のチョコボである。 訓練された騎乗用のチョコボではないのだ。 乗ることは叶わない。 イゼルもその事を考えていたのか、二人で溜息を一つついた。
『アファ・ルートゥがいいならそれでいいけれど、残念な事に野生のチョコボには乗ることはできないんだ』
『訓練されていないチョコボは危険だからな』
会話に入るつもりはなかったのだが、この言葉だけは自然と口からでた。 こればかりはどうにもならない問題だ。自分達は乗ることは出来ても訓練などできないのだから。
『それじゃ……乗れないの……? 地面を速く走ってみたかったな……』
だが、仔竜のこの言葉にイゼルが顔色を変えて異常な早さで反応した。
『いや、乗れるぞ! うむ。乗れるともさ! 確かにさっきのチョコボには乗れないが、すぐ側にチョコボを訓練している村があるんだ。そこにさっきのチョコボを連れていけばきっと乗せてもらえるはずだ』
エスティニアンはイゼルの掌の返す速度にあっけに取られてしまった。 いくら仔竜が不遇な目にあい続けているとはいえ、少し悲しそうな声を出したからと言って、変わりすぎではないだろうか?
『やったー! それなら早く乗ってみたいな!』
イゼルの言葉に仔竜が嬉しそうな声を出した。 そしてそれと同時に、イゼルがとても優しい笑顔でエスティニアンに言った。
『エスティニアン、さぁ、準備だ』
エスティニアンはイゼルの有無を言わせぬその優しい笑顔に非常に恐ろしい物を感じて、冷や汗を流すのであった。