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氷結の夢                         第三話『イゼルの相(すがた)』

氷結の夢 第三話 『イゼルの相(すがた)』

 エスティニアンは、不思議な光景をぼんやりと眺めていた。  視線の先でイゼルが仔竜の手当をしている。  ドラゴン族とそれに与する氷女。  今まで敵だと認識していた者達が目の前にいる。  最終的にイゼルは利害の一致を見たが、それでも味方という事ではなかった様に思う。少なくとも自分がそういう認識を得た覚えはない。  それなのに、目の前の光景はささくれ立っていた心を穏やかにしていく。  先程、イゼルに殴られた箇所も軽く摩るだけでもう気になることも無かった。

(暖かいな……)

 エスティニアンは目の前で繰り広げられる不思議な光景に、ふとそんな感覚を抱いた。  かつて、家族をドラゴン族に殺されてから、そんな感覚などとうに消え去っていたと思ったのに。  何故今になってそれが蘇ってきたのか。  心を暖かさに包まれて、思考が進むとは思えなかった。  そうしてぼんやりとしている内に、仔竜の治療が終わった。   そもそも、槍の穂先で軽くつついた程度の傷で、治療など必要なのか?という疑問は拭えないが、それでも当事者が痛がるのならば相応にせねばならいであろう。  イゼルは、道具の片付けをしながら自己紹介を始めた。

『わたしはイゼルという』

 イゼルの声が柔らかく響いた。  エスティニアンが共に旅をしていた時には、聞いた事のない響きに思う。

『イゼルは優しいクポ! ありがとうクポ!』

 意識してみれば当たり前だが、イゼルのこうした姿というのは見たことがなく、エスティニアンにはとても新鮮に映った。  きっとイゼルの本来の姿というのはこういった姿なのだろう。 『こっちの……君たちに酷いことをした男はエスティニアンという。本当に悪いことをした……』

『えすてぃ……? 言いにくいクポね……。えすてにゃんでいいクポ……?』  穏やかな気持ちでイゼル達のやりとりを眺めていたら、モーグリが急に巫山戯たことを言った。  まさか自分の名前をどうしようもない変な響に変えられるとは夢にも思っていなかった。  呆気にとられながらイゼル方を見てみると、イゼルは身体を震わせながら笑い出していた。  そんな姿に反射的に、叫んでしまった。

『おい……! 笑い過ぎだ……! あとそこの白いの! 俺はエスティニアンだ!』

『モグポンはモグポンクポ! でも言いにくいからえすてにゃんはえすてにゃんクポ!!』

 巫山戯た物言いに苛立ち、流石にモーグリに一撃くらい入れてやろうかと立ち上がったと同時にふとイゼルが目に入った。

 その、表情に驚いた。

 イゼルは確かにとても怒りに満ちた表情をしていた。  しかしその表情は、これまで幾度となく見てきた『敵』に向ける表情とは全く違っていたのだ。  怒ってはいる。怒ってはいるのだ。けれど、その怒りの表情はどこか楽しそうで、それでいて、とても暖かい表情だった。  そんな顔でいくら睨まれても、何の脅しにもなりはしない。  しかし、どうしてかそれがとても愛おしく感じてしまった。  この空気を壊したくない、そう思ってしまったのだ。  エスティニアンはそっと顔を背けてから静かに座り、この夢の続きを見る事にした。

『その……、君はモグポンというのか。ではこっちのずっと泣いている仔竜はなんというのかな……?』

 そっぽを向きながら目線だけでイゼルの方を窺ってみた。  イゼルは怒りではなく柔らかい表情に戻っていた。 『アファ・ルートゥクポ! とっても優しいドラゴンの子供クポ!』

『そうか。アファ・ルートゥというのか』

 やはり、その表情には慣れる気はしない。  けれど、不思議とそれは悪い気はしない。 『それではモグポン、アファ・ルートゥ、改めて謝罪させてほしい。エスティニアンが本当に悪いことをした』

『イゼルが謝ることはないクポ! イゼルはとっても優しいクポ!』

 優しい声音も。穏やかな声音も。

 なにひとつ不快感などない。

『いや、だがエスティニアンの代わりにせめて謝罪を……』

 この光景を眺めていたい。

『それならえすてにゃんが謝るクポ! イゼルは謝る必要はないクポ!』

 そう思った矢先、また理不尽が降って湧いた。  やれと言われてやった事でなぜ謝罪せねばならぬのか。  エスティニアンが講義しようとした瞬間、 『エスティニアン、早く謝罪をするといい』  悪寒が走った。  イゼルに笑顔で睨まれていた。  先程とは違う、どこか殺気を孕んだ笑顔で。  これまでの表情とのあまりの差に身を引いてしまっていた。  イゼルの殺気からして、謝罪をしない限りずっとこのままなのもなんとなく察せられた。

(なんなんだ。なぜここで殺気が……)

 エスティニアンは渋々ではあるが、謝罪をする事にした。

『その、なんだ。さっきはいきなりだったからな……。俺も悪かった』

『モグポンは大丈夫クポ! アファ・ルートゥはどうクポ?』

『僕もだいじょうぶ。さっきはびっくりして泣いちゃったけど……。手当もしてもらったし……』

 モーグリ……モグポンと言っただろうか、それと仔竜のアファ・ルートゥが謝罪を受け取ってくれたお陰か漸くイゼルの雰囲気が戻り、エスティニアンはそっと息をついた。  イゼルが雰囲気を緩めつつも、どこか申し訳なさそうにしてるのを見るに、ドラゴン族もさることながらモーグリに対しても同じだけ好ましく思っているのだろう。

『謝罪代わりといってはなんだが、食事の後に君たちの身体を洗わせてくれないか……?』

『お願いするクポ!』

『お願いします!』

 イゼルのそんな気持ちが通じたのか、モーグリと仔竜は申し出を快く受け取っていた。

『モーグリ族は食べられるかわからないが、ドラゴン族なら食べられるだろう。アファ・ルートゥ、君も一緒にどうだ?』

 イゼルは申し出を受け取ってもらえたのが嬉しかったのか、また穏やかに微笑み、食事に誘っていた。  謝罪したのにも関わらず、出されたスープが少なかったのにエスティニアンは納得いかなかったが。

 食事も終わりイゼル達が汚れを落としに行ってから、エスティニアンは一人息をついた。  慣れぬ状況に身を置かれ、無意識に身体に力が入っていたのだろう。  こういった状況は、下手な戦闘に身を置くより余程疲れる。  部屋の外から漏れ聞こえてくる声をぼんやりと聞きながらワインを傾けた。 『それは何をしているクポ……?』

『なんでお水に火のクリスタルをいれてるんだろう……?』

『あぁ、そうか。君たちは水を温める必要はないのだな。いつもの癖で温めてしまったよ』

『いつもそんな事をしているクポ? お水のまま浴びれば簡単クポ!』

『うんうん。お水のまま浴びればとっても楽だよ!』

『人間はね、毛皮も鱗も持っていないからね。こうして温めてからでないと体調が悪くなってしまうのよ』

『よくわからないけど、モグポンたちとは違うクポね……』

 イゼル達の会話を聞いていると、人とかモーグリ族とかドラゴン族とか……そんな事がとても些末な事に思えてくる。  かつてはこうして手を取り合っていたはずなのに、なぜこうなってしまったのか。  そう思うのと同時に、ニーズヘッグの慟哭も蘇る。  元はといえば、裏切ったのは人間だ。  それを思うと、人間が報いを受けるのは仕方なく思ってしまう。  だが、そうだったとしても、家族を殺された痛みをかつての報いとして受け入れる事などできはしない。  この夢が穏やかで優しければ優しいほど、エスティニアンの心は縛られていく。  自らの力では到底破れぬ鎖に捕らわれ、闇に沈みそうになった時、また不意に声が聞こえた。

『ど、どうかしたクポ……?』

『そ、そのだな……。君たちが良ければ、少しばかり君たちを抱きしめさせてほしいのだが……』

『い、イゼルは優しいからいい…クポ……?』

『と、とっても優しくしてくれたし……それくらいな……』

『あぁ……、もふもふだぁ……つるつるだぁ……』

『ちょ、ちょっと落ち着くクポ!?』

 そのやりとりにエスティニアンの思考は停止し、気が付けば声を上げて笑っていた。  エスティニアンが闇に落ちそうになる度に、こうして闇から引き揚げてくれる。

 本当に優しい『夢』だ。

 エスティニアンはひとしきり笑った後、グラスに残るワインを喉に流し込み、そっとその光景を覗いてみた。  ベッドの上では、人間とモーグリとドラゴンが抱き合って眠っていた。  その寝顔は三者三様。  しかし、どれも憎しみとは無縁な緩んだ顔をしていた。  この穏やかで暖かい、優しい夢にもう暫く付き合うのも悪くはない、とエスティニアンは思ったのであった。

 

 このイラストを描いてもらってから、こうして公開するまでに1年以上かかってしまいましたが、どうにかこうにかここまでこぎつけることができました。

 ふーさん、このイラストを描いてくれて本当にありがとう。

 とても大切な宝物です。(*´ω`*)

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